私らしく生きる

ヨガと読書と手芸、自己分析を楽しむ40代主婦です

妄想と事実

イライラしている時は、周りの人のことばかり目がいきます。

いつもは気にならないのに、どうしても言わなくては気が済まない。

私の家族はかなり被害を被っています。

ごめんなさい。

イライラしている時は、私の心に余裕がない。

別に家族が悪い訳ではない。

でも、アピールしたくなるんです。

家事を手伝って欲しい訳ではないんです。

大変なのにありがとう、頑張ってるねって言われたいのかもしれません。

誰も言わない、私も自分に言わないから。

疲れていても、ご飯を作るのがお母さんの仕事。

それが当たり前って、誰にも言われていないのに、勝手に自分でそう思い込んでいる。

今日、疲れたから夕飯作らなくてもいい⁇って聞くと『え、ないの⁇』の子どものひと言で『それ、母親失格でしょ』とまで、言われているような勝手な罪悪感。

妄想が先走りして、結局、それを避けるために無理をする。

妄想なのに。

というか、私は疲れたんだ!という事実が置いてきぼりになっている。

そっちの方が大事。大切にしなくては。

でも、中々言えない。

 

決めます。

妄想と事実を区別します。

事実を大切にします。

それがきっと、私もみんなもハッピーになりそうな気がします。

後悔の根っこ

あの時、ああすれば良かった、何で出来なかったって後悔します。

突き詰めていくと、ダメ人間と思われたくないという、人からこう思われたらどうしようっていう不安があります。

ダメ人間と思われてもいいじゃない。

完璧な人間なんていない。

でも、ダメ人間には思われたくない。

なんでか。

必要とされたい、居場所がほしい。

居場所はないのか。

ある。必要としてくれる人もいる。と思っている。

それなら、いいじゃない。

 

、、、でも、満足できない。

失敗を許さない。

だから辛い。

自分なんて、と思いつつ、自分はできるときっと誰よりも思っている、思い上がりに腹が立つ。

自分なんて、の仮面を被って、ハードルを下げて、堂々と行動出来ない自分に腹が立つ。

誰からも責められていないのに、自分が誰よりも厳しく、冷たい目で私をみている。

なんだか疲れました。

訳が分からなくなったので、一旦考えるのをやめます。

今日はそんな感じです。

楽しみと不安

楽しみなことと、不安が一緒になって、何とも言えないモヤモヤとドロドロな気持ちになることがよくあります。

結局疲れてしまって、気が重くて、行きたくない、となります。

イベント、初めてのこと、初めて行く場所、久々に会う友だち。

お腹が痛くなったらどうしよう、上手く話せなかったらどうしよう、何を着ていこう。

何日も前から、かなり緊張して頭がいっぱいになります。

そして、そんな自分が嫌になります。

何で楽しめないんだろう、何で不安でいっぱいになってしまうのだろう。

 

何ともならないので、今日はその気持ちにどっぷり浸かることにします。

そっかぁ、行きたくないんだね、疲れたんだね、不安なんだねって、私と会話します。

どうする?やめる?

迷う、行きたくない。いやだけど、でも行ってみる。多分楽しいはず。

そっかぁ。なら、行ってみなよ。嫌ならいつでもやめて良いからさ。

私は私のいちばんの理解者。

 

シアワセの解釈

 

入居者さんがよく『私はシアワセ』って言ってみえます。

 

何がそんなにシアワセと感じるのだろう。

私なりの解釈としては、

①この歳になるまで苦労もたくさんあった、でも今は平穏に暮らせてシアワセ。

②身体も思うように動かなくなってきて、シアワセのハードルが下がった。

③歳を重ねると、なんだかんだ苦労は忘れて、感謝やシアワセだけが残る。

だいたい、こんな感じでした。

 

でも、今日、新しい解釈が生まれました。

余計なものが見えなくなる、余計なことが聴こえなくなることがシアワセに繋がるのではないか。

 

私たちは、日々情報を取り入れています。

気がつけばスマホを持っています、

目や耳からの情報が朝から晩まで。

そして自分と他人を比べたり、妬んだり、執着したり、攻撃したり。

 

でも、静かな場所で目を閉じると、穏やかな時間が訪れます。

あー、さっきまでの落ち着かない自分は何だったんだろうっていうくらい、ゆったりとした空間が広がります。

そう、コレです。

たぶん、きっと。

自分と他人を比べたり、妬んだり、執着したり、攻撃することは、シアワセと正反対。

なら、見ない、聞かないが、良いかと言えばそうでもなく。。

程々に情報を取り入れて、心地よく暮らす事が出来れば最高なのではないかと。

情報に振り回されないってことも重要ですね。

すんごい難しいですが。

気づくことができただけでも、進歩。

自分と会話する

どこかの犬が吠えているとき、うるさいなって感じる時と全く気にならない時があります。

うるさいと思うと、ずっとイライラします。

何で吠えているんだ、

どうにかならないのか、

あっち行ってくれ、

イライラ、イライラ。

 

自分のイライラがその犬に便乗した、というか、

その犬のせいにしているっていう感じでしょうか。

自分のことが全く見えなくなります。

悪いのは全て相手、周り。

私はこんなにやっているのに、我慢してるのにって。

結局私がその状況を作っている、ということに気がつくのはだいぶ先です。

気づかないこともたくさんありますが、、

 

ああ、満たされていないんだな。

何に満たされていないんだろう。

いや、満たされているのに、ない、ないって自分がなっているだけなのだろうか。

そもそも、満たされるって何だっけ?

定期的に立ち止まって、自分と会話する時間を作らないと忘れてしまいます笑

なので、このブログは自分との会話用でもあります。

いい時間です。

書くといろいろ整理されます。

 

もう1人の私

『そう思っているのなら、相手に言えばいいじゃん』って、周りに言われます。

言えるのなら、とっくに言ってるし、こんなに悩まないと思います。

どうしても言いたいことをスムーズに言えない相手がいます。

何で言えないのだろう。

自信がない。

傷つきたくない。

怖い。

どうせ話をしても変わらない。

っていう、妄想。

 

言わなくても過ぎていく。

どうせ自分も忘れる。

 

でも、繰り返し起きるんですよね。

いつものように、流そう。

気づかないふりをしよう。

我慢は慣れている。

けれど、見ないふりをすればするほど、もう1人の私は傷付いている。

何で?

苦しいよ。

私を見て。

悲しいよ。

大切にしてよ。

 

私は言う。

あとちょっと頑張って。

いつものことじゃない。

私が我慢すればいいことだけでしょ。

頑張れ、頑張れと。

 

私が私に気づかなかったら、誰が気づくのだろう。

私が私の味方をしなかったら、誰が味方をするのだろう。

私しかいない。

 

でも、我慢する方がラク

だから、もう1人の私は黙ってて。

って、そうやって無視しているうちに、私の声がいつのまにか聞こえなくなっていました。

聞こえていないのにも、気づかなかった。

そしたら、いろんなことが上手くいかなくなりました。

 

相手に都合のいいように合わせているのに。

合わせているんだから、相手にとって思い通りのはずなのに。

どうして?

相手の世界に巻き込まれて、振り回されて、結局自分が無くなっていました。

 

ごめんね、苦しかったのに、辛かったのに、頑張ってたのに。

苦しかったね、辛かったね、頑張ってたねってたくさん話かけてました。

そしたら、少しずつ、聞こえてくるようになりました。

ただ、もう1人の私は、とても厄介です。

今日はどう?

今の気持ちは?

心地よい?それとも、モヤモヤしてる?

っていちいち確認しないと、分からない。

教えてくれない。

あのとき、嫌だった。

本当は寂しかった、などなど。

とても手がかかりますが、素直で可愛いと思います。

そんな私です。

私が提供出来ること

この前、お寺でのヨガに参加しました。

ヨガの後、お寺のお嫁さんが、温かいティーとさつまいものケーキを出してくださいました。

どちらも手づくりです。

ほっこりと、優しい気持ちになりました。

そのお嫁さんが仰ってました。

『ヨガの先生は、ヨガを皆さんに提供することができる。私に何が出来るかと考えたとき、ヨガは提供できないけれど、温かいお茶とおやつは提供できる。それが私の役割だと思ってます』と。

 

その言葉が私には衝撃的でした。

すごいなって。

皆んなの前で言えることが、とても羨ましく見えました。

私の提供できること、役割ってなんだろうって。

言えない。分からない。

さぁ、また考えることが増えた。

困った。

でも、考えることができるのも嬉しい。

 

きっと、頑張ってすることではない。

すんなりと出来ていること、私にもあるはず。

あるはず、、、なのに、出てきません。

家にいたら、ご飯作る人、洗濯や掃除する人。

職場に行ったら、入居者さんが安心して暮らせるようにケアしたり、スタッフをサポートすること。

じゃあ、個人になったら? 

どうして分からないのだろう、と不安になります。

 

思いつかないので、ちょっと想像することにしました。

もし、地域の方たちといきなり集団生活するとしたら、私は何を率先してするか。

 

介護、介助は提供出来る。

少々の裁縫も出来る。

料理の材料切りなら大丈夫、出来る。

おぉ、早速3つもあるじゃない。

 

結局、普段からやっていることなんだけれど、皆んなの前で言うのは恥ずかしいというか、大したことじゃないって、自分を小さく見せてしまうというか。

すごいことをやってないと、認めてもらえない気がするというか。

 

でも、そうやって決めているのも私なんだなぁ。

 

ポケモンカードみたいに、〇〇タイプ、これが武器、みたいなのが最初から分かってればいいのに、とふと思いました。

でも、分かってたらそれもまたつまらないのでしょうね。

40年過ぎても、自分を探していきますよ。

知りたくてワクワクします。